その日。
留三郎は、深いため息をついたのだった。
伝
それを見ていた人物が1人。
潮江文次郎である。
彼は同僚の珍しい姿に、思わず歩を止めた。
それを知ってか知らずか、当の留三郎は再び深いため息を付く。
木陰の下で蹲っているため、なんとも。
「・・・陰気だ・・・。」
文次郎は素直な感想を口にしてから、留三郎の元に歩み寄った。
「どうしたんだ?珍しい。」
声を掛けられた留三郎は、緩慢に文次郎を見上げて。
今度は軽い溜息を突く。
「なんだお前か・・・。」
「どうした、悩み事か?」
文次郎は留三郎の隣に座り込むと、彼を軽く覗きこむ。
その表情は憂いを帯びており、心なしかやつれたようだった。
そんな彼の表情など、1年の頃から懇意にしている文次郎とてそう見た事が無い。
悩める同級生には悪いが。
少し興味があった。
しかしなんと言えば答えてくれるか。
そう思案しだした頃、ぽつりと留三郎が呟いた。
しかし余りに小さな声だったため、上手く聞き取れない。
もう一度聞こうと声を掛ければ。
普段からは想像も出来ないほど沈んだ声で。
「文次郎・・・・お前、恋・・・したことあるか?」
そんなことを言ったのだった。
思わず噴き出したのを悟られぬよう、文次郎はわざとらしく咳込んだ。
恋?
あの留三郎が、恋!?
女など二の次、戦う相手さえいれば幸せな留三郎が!??
そう思うと、口の端からまた笑いが零れ出そうになってしまう。
それをなんとか必死に留めて。
文次郎は、震える声で聞き返した。
「恋、だって?」
「・・・・・・あぁ・・・・。」
留三郎は虚空を眺めて、溜息と共に肯定の言葉を発する。
真剣なんだな・・・。
文次郎はそう思って、また噴き出しそうになるのを我慢した。
何故だ。
どうして、この男がそんな面白い状況に嵌っているのだ?
というか、それはいつからで・・・。
「・・・誰に、惚れたんだ?」
そう。
そこだ。
くノ一か?
町の娘か?
そういえば最近よく外出していたし・・・もしかしてどこぞの看板娘か?
うきうきしながら答えを待つが、なかなか返ってこない。
留三郎は相変わらず沈んだ表情のままだった。
それにしても、この男がここまで思い悩むとは。
「アピールはしているのか?」
留三郎が女にアピールする姿は面白いだろうな。
そんな事を考えながら聞いたのだが。
彼は緩く首を左右に振って。
「・・・それが、出来ないんだ。」
そんな事を言うのだ。
「出来ないって何だ・・・するかしないかの二択だろう。」
文次郎の言葉に、留三郎は彼を見やった。
その表情は・・・複雑、と形容すれば良いのか。
悩んでいるのやら悲しんでいるのやら、分かりにくい表情だった。
恋をすると綺麗になるのは、女だけなんだな。
文次郎はそんな事を思いながら、留三郎の言葉を待つ。
暫く待って出てきた言葉は。
「だったらお前・・・小平太に真っ向勝負挑めるか?」
小平太・・・七松小平太。
文次郎たちがよく行動を共にする面子の1人だ。
なんでここで小平太の名前が・・・?
そう思った瞬間、ある予測をする。
もしその予測が当たっているとするならば。
この沈んだ表情にも頷ける。
もしかして留三郎の想い人とは・・・
「・・・なのか?」
留三郎の無言は、肯定の意だと悟った文次郎は。
同僚と共に、溜息を突いたのだった。
七松。
小平太の、誰よりも何よりも大切な・・・妹。
自体は問題ではない。
彼女はごく普通の少女で、家でひっそりと農業を営む・・・そんな人物だ。
問題は彼女ではなく。
彼女が、小平太の妹であるということだった。
小平太は常日頃から、に近付く奴は許さないと公言しているのだ。
の隣にいて良い男は、小平太だけ。
少なくとも小平太はそう信じている。
事実、は忍術学園の中ではちょっとしたアイドルだ。
それなのに誰も言い寄ってこないのは兄の存在があるからで。
それでも勇気を出してに近付く人物がいれば、小平太は本当に容赦しなかった。
それを間近で見ていたのは他でもない、文次郎や留三郎たち。
これは溜息が出るのも無理はなかった。
「・・・・・いつからだ。」
「前々から可愛いなぁとは思ってたんだけどなぁ・・・。」
留三郎は頬杖を付いて苦渋の表情を浮かべる。
「でも小平太に感付かれたらまずいだろ?だから我慢してたんだが・・・こう、愛が募って・・・。」
愛という言葉に、今日何度目か噴き出す文次郎。
を、無視して留三郎はやはり何度目かの溜息をついた。
「でも相手が小平太ってのがなぁ・・・。」
「良いじゃねぇか、勝負挑めよ。」
かなり無責任な言葉に、留三郎は文次郎を睨む。
「お前な・・・一回でも本気の小平太を見た事あるか?」
あいつ手加減してあの実力だぞ?と言う。
その言葉には流石に文次郎も口を噤んだ。
正直、小平太の本気など見たくなかった。
彼が自分に対して手加減しているのも癪だが、それでも小平太には勝った事が無い。
「知ってるか?3年か4年の頃、実習で合戦場行っただろ。」
「行ったな。」
懐かしい・・・と付け加えて、文次郎は頷く。
それを確認してから、留三郎は言葉を続けた。
「あの時あいつ、曲者に間違われて十何人かに襲われたんだが・・・。」
「あー・・・一瞬でカタ付けたんだろ?」
「そうだよ・・・曲がりなりにも戦兵にだぞ?」
何なんだあいつ・・・と留三郎は呟く。
「そういうわけで、不本意ながら俺はを諦めなきゃいけないんだよ・・・。」
正直、小平太がに抱き付いている光景は辛いと言う留三郎に。
文次郎は腕を組んだ。
「でも・・・あいつ、いつだったか伊作や長次になら任せても良いかなぁとか言ってたぞ。」
「え、なんだそれ?」
初めて聞いたのか、留三郎は文次郎を見やる。
見られた文次郎は過去を思い出すように、少し斜め上を見上げた。
「まぁ、あいつも兄貴がいつまでも妹にくっついてたら邪魔だって事くらい、気付いてるからそんなこと言ったんじゃねぇか?」
「あの小平太が?」
そうか・・・と言って、留三郎は地面を見つめる。
何の判断基準があったのかは分からないが、それならもしかすれば。
「・・・小平太に勝てなくても、良いってことか。」
「いやそれはない。」
文次郎の即当に、留三郎は思わず半眼になる。
「・・・なんでだよ。」
「小平太より強いのが最低条件。つまり人間には無理だ。」
そう言われ、留三郎は溜息混じりに呟いた。
「やっぱ無理なんじゃないか・・・。」
そんな留三郎を見て。
文次郎はにやりと笑う。
「・・・・・・奪うか?」
文次郎曰く。
小平太を倒すのは無理。
それは恐らくいつもの面子で協力したとしても、無理だろう。
だから倒すことは諦める。
しかし、小平太の甘い所は・・・小平太と仲の良い自分たちと、との接触には割と寛大だという所だ。
つまり、最初から本丸を攻めるという話だった。
いくら小平太が強かろうが、“が”誰かに惚れてしまえば意味が無い。
そうならないよう育てられてきたらしいが、殆ど兄同然の留三郎になら心が動かないこともないかもしれない。
そうなれば小平太も強くは反論出来ないだろう。
とう事だった。
それを聞いて、留三郎はほう・・・と感嘆の声を漏らす。
「やるな文次郎。」
「策士潮江と呼んでもらって構わん。」
「それで策士、俺の勝算はあると思うか?」
文次郎は少し考え、腰に手を当てた。
「ある。小平太は病気だが、も大概ブラコンだろ?」
「まぁ・・・そうかな。」
「ブラコンは兄の姿を求めるから、年上には弱いはずだ。」
そう言われ、留三郎は口元を引き締める。
「なるほど・・・お前やるな!」
「出来る男会計委員長と呼んでもらって構わん。」
ふふ・・・と笑う文次郎は無視し、留三郎は・・・恐らくここ数日で一番の笑顔を浮かべた。
「俺はやる!!待ってろ・・・!」
「はい?」
と。
唐突。
本当に唐突に、二人の背後から声が聞こえた。
反射的に間合いを取る二人。
振り向いたその先には。
余りの早さで間合いを取られ、驚いた様子の・・・だった。
彼女は洗濯の帰りなのか、大きめの桶を持って佇んでいる。
「いっ・・・いつからそこにいた!?」
動揺を隠せない留三郎が思わず聞く。
と、はへらっと笑って小首を傾げた。
「出来る男会計委員長の所からです。」
案外殆ど聞かれていなかった事に胸を撫で下ろし、留三郎は間合いを解いた。
に近寄って頬を緩める。
「お前は・・・洗濯の帰りか?」
持とうかと言って、留三郎は桶をから奪い取る。
「ありがとうございます。お兄ちゃんの服ってすぐ汚れちゃって・・・。」
しょっちゅう洗濯しなきゃいけないんですよと、は笑った。
「・・・お前、小平太の服も洗濯してるのか?」
「はい。泥だらけのまま抱き付かれたら、私の服まで洗わなくちゃいけなくなるから・・・。」
えへへと、そう厭そうに見えない笑顔を見せるを。
留三郎はまじまじと見つめる。
「・・・なぁ、。」
「はい?」
屈託のない表情。
そうだ。
この笑顔に自分はやられたのだ。
そう再確認しながら、留三郎は桶を脇に抱える。
そして。
「好きだ!」
背後で文次郎がこけた気配がしたが、気にしない。
今重要なのは、この目の前にいる少女だけで。
少女は唖然、という言葉がとても良く似合う表情を浮かべて留三郎を見上げている。
「俺の服も洗って欲しい!俺の抱き枕になって欲しい!俺と風呂に入って欲しい!!」
留三郎は。
小平太が、羨ましかった。
これらをとすることを、当然だと思っている小平太が。
自分では手に入らないものを持っている小平太が。
でも、と小平太では出来ないことを自分は出来る。
そう。
自分は。
「あの、留三郎さ・・・。」
「俺とっ!!」
留三郎は少女の言葉を遮って。
「俺と、恋して欲しい。」
兄弟では出来ないことを。
それは留三郎が、少女に想いを寄せた時から願っていたこと。
同じ道を歩いて欲しい。
笑い合って、少女を抱き上げて。
そうだ、そして。
口付けしよう。
精一杯の、“好き”を込めて。
場が、静まり返る。
文次郎は事の成り行きを見守っていたし。
は呆気に捕らえて口を半開きにしている。
そして留三郎は、の返事を待っていた。
唐突だと、自分でも思う。
思うが、今まで抑圧されていた想いの堰が壊れたのだ。
それならば、言ってしまわなければ伝わらない。
しん・・・と、している。
誰も動かない。
が。
沈黙を破ったのは、だった。
彼女は困惑した表情で留三郎を見上げて、ぎこちなく笑う。
「あの・・・ちょっと突然すぎて良く分からないんですが・・・。」
「突然じゃない。俺はずっと前からそう思っていた。」
更に困った表情を浮かべるに、留三郎は呟く。
「・・・迷惑か。」
言われて、は慌てたように手を振った。
「違います違います。」
「なら、答えを聞こうか。」
は微かに目を泳がせて、沈黙して。
やがて、顔を伏せた。
・・・ダメか。
留三郎は胸中で溜息をつく。
分かっていた。
恐らくにとっては、自分もきっと兄なのだ。
頼れる存在。
安心できる存在。
そして、恋愛感情は持てない存在。
分かっていたと自分に言い聞かせても、いざ現実を突きつけられるのは辛かった。
しかしこれ以上を困らせてもいけない。
諦めるんだ・・・と強く目を瞑った頃。
桶を持っていない方の手に、ぬくもりを感じた。
奇妙に思って目を開ければ。
が、俯きながら両手で留三郎の手を握っていたのだ。
状況を理解出来ず、なんと言おうか思案していると。
が、真っ赤になった顔で上目使いに留三郎を見て。
「・・・・・・・これじゃ、ダメですか・・・?」
長い沈黙。
留三郎はその間、色んな可能性を考えた。
それは。
つまり・・・?
「・・・どういう意味だ?」
未だ頬を染めているは、やはり困ったように顔を背けて首を振る。
「その・・・わ、私も・・・という意味です。」
ということは。
留三郎は自分の頬も赤くなるのを感じながら、思わず大声で聞いてしまった。
「俺と同じ墓に入ってくれるということだな!?」
「あ、そこまでは流石に考えてませんでしたけど・・・。」
ようやく笑った・・・苦笑に近かったがそこは置いておいて・・・を、留三郎は強く抱き締めて。
「〜〜〜っっしゃあぁあああ!!」
歓喜の雄叫びを挙げたのだった。
それから程なくして、仲良く肩を並べる二人の姿が目撃されたのだとか。
青春だなぁ・・・と文次郎が呟いたことは、恐らく誰も知らない。
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予定調和。
1:00 2010/08/06