しとしとと雨の降る夜

部屋を仄かに灯す蝋燭を眺めて、少し浴衣を着崩す


涼やかな風が心地よい、そんな日のことだった















  御伽噺












部屋の襖がからりと開く。
見やると、そこには風呂から上がったばかりの少女がいた。
七松
小平太の大切な大切な、妹だ。
現在彼女は忍術学園に寝泊りしており、この部屋にも慣れたもの。
小平太が散らかした物を片っ端から片付けてくれるため、俺としてはこのままずっといて欲しいくらいだった。
しかし彼女はやはり気を遣うらしく、いつも1週間やそこらで家に帰ってしまうのだ。
それはそれとして。
は部屋を軽く見ると、小首を傾げた。

「あれ、お兄ちゃんは?」

そうか。
そういえば、今日だったか。
彼女の兄・・・小平太は、今日はこの部屋には戻ってこない。
なぜならば。

「・・・・反省文。」

ここ数日、妹が傍にいることが余程嬉しかったのだろう。
小平太はいつにも増して元気だった。
というか、元気過ぎた。
勢い余って壊した物は数知れず。
今までも大概だったが、今回は特に凄かった。
流石に今回は教師陣から見ても目に余る物があったのだろう。
そういうわけで。
彼は現在、宿直室で1人徹夜の反省文を書かされているのだ。

理由は聞かれれば答えようと思っていたが、は全てを理解したように頷くと平然と部屋に入ってきた。
そして、俺と自分の分の布団を用意し始める。
その様子を眺めながら、そういえば・・・と思った。
いつも小平太は、を抱き締めて寝ている。
暑いだろうにと思うが、彼の愛の示し方なのだろうとも思う。
しかし、だ。
小平太はいつもを壁側に置くのだ。
別に話す用事もないから良いのだが、あからさまに警戒をされているようで少し落ち込む。
しかし今日は別だ。
俺たちの間に、小平太はいない。

を見やれば、すでに自分の布団に入り込んで明日の準備をしているようだった。
彼女は基本的に俺に話しかけない。
恐らく、俺が話したくないと思っているのだろう。
それは少しだけ外れている。

俺は一冊の本を手に持って、の敷いてくれた布団に入り込んだ。
そして、明日の準備が終わった頃合を見計らって声を掛ける。

。」

瞬間、驚いたように彼女はこちらを見て目を大きくした。

「は、はい?」

少し動揺したのだろう。
手に持っていた髪留めを落としていた。
しかしそれには構わず、1つ問う。

「本、好きか?」

はかすかに怪訝そうな顔をして、僅かに頷いた。

「あんまり難しいのはわかんないですけど・・・。」

それを聞いて、少し安堵する。
難しい本が好きだと言われたら、今持っている本は不釣合いだ。
俺は寝転びながら本を軽く爪で叩くと、彼女を手招きした。
素直にこちらに寄ってくる
そして、本の表題に首を傾げる。

「・・・異国の本だ。」
「中在家さん、読めるんですか・・・?」

感嘆にも似た声が俺に向けられる。
無論、読めなければ持ってこない。
余り複雑な話になると分からない言葉も出てくるが、この程度なら同時に和訳も出来る。
頷くと、は目を輝かせて俺の隣に寝そべった。
その様子に満足すると、少し呼吸を置いて。
表題をなぞった。

「・・・白雪姫。」



ジジ・・・と蝋燭が燃える音に混じって、雨の音も聞こえる。
仄かな明かりを頼りに、一言ずつ言葉を拾う。
いつしか本を挟んで、と俺はほとんどくっついていた。
彼女の柔らかい曲線を描く頬を眺めつつ、物語は佳境に。

「・・・小人たちと白雪姫の前に、王子様が現れました。」

本には挿絵も描かれており、はそれを見ながらパタパタと足を動かしている。
本当に、この子は。
いくら俺が兄の友人でも、無防備すぎではないだろうか。
文章を読みながらそんな事を思って。
ある一文が目に入ってきた。

―――――王子が、白雪姫に口付けを

口付け、か。
話が途切れてしまったのを不信に思ったのか、がこちらを見てくる。
兄譲りの大きな目。
むにむにと餅のようにきめ細かい肌。
そして・・・桜色の唇。
自分の知っているだけでも、かなりの人数がこの唇を狙っていた。
しかし兄が怖くて近付けない者が大多数。
現在、に近付けるのは小平太と仲の良い連中だけだといっても過言ではない。
その中でも、自分は特にに近いと思う。
自分に取っても、は殆ど妹のようなものだった。
しかし、偶に見せる女性らしい仕草さとか。
柔らかみを帯びてきた体の曲線だとか。
そういうものに見とれる度に、自分にとって彼女は“妹”ではないのだと自覚する。
そう、彼女は。


不自然な沈黙が部屋を支配する。
蝋燭の燃える音と、雨の音だけがいつまでも鳴り止まず。
俺は。


―――――王子が

自分が王子になれるとは思わないけれど


「・・・・・・・・。」


―――――白雪姫に



「はい?」

・・・・口付けを、した。



先よりも数倍は長い沈黙。
は呆けたような顔のまま動かない。
俺はと言えば、自分の唇が思いのほか荒れていて、申し訳なかったと思っていた。
しかし触れた肌の柔らかさや、鼻から漏れる甘い匂いだとか。
しなければ分からない事も感じ取れて、胸中で微笑む。
少女特有の甘ったるさの余韻に浸りたいところだが、余りに彼女が呆けたままなので。
仕方がなく、俺は物語の続きを読む。

「『あぁ、なんと美しい人でしょう』王子様は言いました・・・。」
「え・・・普通に続けるんですか?」

彼女はガバッと起き上がって、両手で自分の頬を包んでいる。

「い・・・今の!なんですか!??」

良く見れば顔が真っ赤だ。
そういえばのこんな表情を見るのは初めてだ。
悪くない。
いや、良い。
そんな事を思いながら、俺もむくりと起き上がる。
そして、彼女の頭にポンと手を置いて。

「イヤだったか?」

聞いた。
しかし彼女は困ったようにフルフルと首を横に振る。

「イヤじゃないですけど、なんで今、このタイミングで・・・っ。」

恥ずかしい〜!と蹲るの背中をさすってやる。
ん。
今、イヤじゃないと言ったか。
ということは、そういう事で良いのか・・・?
ちなみに俺とて、何の勝算もなしにこんな行動を取った訳ではない。
自分に好意を抱いていると思っているからこその、口付け。
しかし余りにあっさりと肯定されると、拍子抜けもしてしまう。
それでも嬉しいことは嬉しくて。
いまだ恥ずかしいと顔を左右に振っているを宥めるように擦ってやる。
もしかして初めてだったか。
それはそれで嬉しいが、ともかくとして。

「・・・寝るか。」


そして明かりをふっと消して。
片腕を差し出した。

「なんですか・・・?」
「・・・・腕枕。」

早く寝るぞと呟いて、俺は目を閉じた。
正直、少し憧れていた。
小平太はいつも当然のようにに腕枕をして寝ている。
で、兄の腕は枕より寝やすいから好きだと公言していた。
そんな二人の様子に、嫉妬半分羨ましさ半分。
つまりは、自分もしたかったのだ。
さて、来るかな。
彼女は小平太にかなり教育されていて、兄以外の男性との触合いは固く禁じられていたはず。
それでも自分に好意を抱いていてくれているなら。


かなりの間が空いて、おずおずと腕に少女の重り。
その感触に満足しながら、少し意識を沈めた。

悪いな、小平太。
お前の大切な妹を狙っているのは、何も文次郎や仙蔵だけじゃないんだ。

いつもよりとても幸せな就寝時間。
雨は相変わらず降っていて。
しっとりとした空気が頬を撫ぜる。
腕に頭を乗せてきた少女の髪を撫でてから、少しだけ体を密着させる。
の体が強張るのを感じたが、それも一瞬。
やがては力を抜いて、こちらに身を任せてくれた。
それがとてもとても嬉しくて。

あぁ、明日はとても良い一日になりそうだ。




そして朝。
俺とは、小平太の今までにない激しい怒声によって起こされたのだった。

お前の妹離れも、もしかしたら近いかもしれないな。

 

 

 

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分かってる、白雪姫はまだないってことくらい。

 

 

 

 

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