空色の手引き

 






ふと空を見上げる。

通り抜ける風。

目に痛いほどの白い雲。

そして、どこまでも抜けていく蒼天の空。



あの時もこんな空だったと思って。

居ても立ってもいられなくて、僕は走り出した。




僕たちの、始まりの場所に。










  ――― 空色の手引き ―――












「あ、伊作ー!」
学園を抜け出して走り出した僕に、小平太が後ろから遠慮無しに抱き付いてきた。
自然とおんぶをするような格好になりながら、小平太はニッと笑う。
「どーこ行くの?」
僕は回された腕を掴みながら、首だけで小平太を振り返った。
「何処って・・・畑だよ。」
「伊作も?」
「え?小平太も?」
小平太は元から大きな目を更に大きくして、それから楽しげに笑った。
「俺も丁度畑行こうと思ったトコなんだー!」
僕たちは暫くお互いの目を見つめ合って。
悪戯をする子供の様に、笑い合った。

この無邪気な悪戯っ子のような瞳に、僕はあの日を思い出す。
それは遠い遠い、大切な記憶。







「七松こっへいたでーっす!」
はいはいと手を挙げながら、その少年は鼻水を垂らしながらえへへと笑った。
茶色いふわふわとした髪に小さな体。
印象的な大きな目は子犬の様だった。
「えーっとえーっと、好きな事は遊ぶこと!嫌いなのは勉強ー!」
彼は大きな口を開けて、無邪気に笑う。
その自己紹介に、担任は満足した様に頷いて七松に座る様に指示をした。

「立花仙蔵です、宜しく。」
さらりと音がしそうな漆黒の髪の少年は、冷たいまでの声でそう言った。
容姿も声も、その仕草も。
どれを取っても綺麗な人形の様で。
教室にいる生徒全員が息を呑む様にして、彼を見つめた。
けれどそんな視線など無いかの様に、彼はその長い髪を静かに揺らして座った。

「・・・・・・・・・・・中在家」
聞き取れるかどうかぎりぎりの声で自己紹介をした少年は、同い年にしては大きな体躯の持ち主だった。
ちらりと胸元から見える傷跡が嫌に印象的で、思わずそこに視線が行くのを自分でも感じる。
感情の読みとりにくさなら、先の立花と名乗った彼よりも上だと思う。
その寂しげにも見える目は、どこか意志の強さを感じさせた。

「潮江文次郎です。」
真っ黒な髪に、小さな瞳。
幾分肌が灼けている為、その目の印象は特に強い。
一言で言えば、目つきの悪い少年。
その所為で気が強そうな顔ではあるが、その伸ばされた背からは生真面目さも感じられた。


何故だろうと、その時の僕は胸中で首を傾げていた。
他の生徒は沢山居たのに、その四人だけは妙に印象的だったから。
まだ10歳という年齢にしては、余りに強い雰囲気があったからだろうか。
けれど、今にして思えば僕は無意識に何かを感じていたのではと思う。
自分と似た何かを、彼らの中に。

忍術学園に入学式。
それはクラス分けをされて、一通り教師の話も終わった後の事だった。





学校が始まってすぐくらいから、その四人は色んな意味で目立っていた。
それは良くもあり、悪くもあり。
七松は一年の中で一番の元気者。
それ故に壁や庭の木や備品など、ありとあらゆる物を破壊していたし。
立花はその容姿からくの一たちの憧れの的。
けれど余りに出来過ぎる彼は同級生、あるいは上級生に明らかに敵対視をされていた。
中在家は素行は問題は無かったが、人付き合いの悪さは担任も手を焼いていたし。
潮江は持ち前の目つきの悪さに加え、好戦的な性格が禍して既に色んな場所に敵を作っていたのだった。
用は四人とも一括りにすると、所謂『問題児』。
その名は六年にまで広がっている有名人だったのだ。
その頃、僕はと言えば。
四人と関わることもなく、それなりに平和な学園生活を送っていた。
彼らが問題を起こすたび、それを気にしながらも。






それから彼らとは殆ど話さないまま春が過ぎ。
梅雨が過ぎて。

忍術学園に入ってから初めての、夏が訪れた。







それは夏日と言うに相応しい、蒸し暑い日の事。
僕は例の四人と共に、担任から呼び出しを食らっていた。
何かをした覚えはないし、第一何故このメンバーなのだろうと不思議に思う。
職員室に入ると、担任が僕らを待っていた。
「おう、来たな。」
彼は僕らの姿を見ると、手をひらひらとさせてこっちに来いという仕草をする。
促されるまま担任の前まで歩を進めた僕らに、彼はニィッと意味深な笑みを浮かべたのだった。
「お前等にちょっと頼みたいことがあってなぁ。」
そう切り出した内容とは、平たく言えば幽霊退治だった。
とある町に幽霊が出るという噂は、僕も小耳に挟んだ事がある。
担任の話に因れば、幽霊が出るにしろ出ないにしろ、噂を怖がって商人が寄りつかなくなっているとの事だった。
困った隣町の町長―――学園長の知り合いらしいが―――が、学園に救済を求めてきた。
「ま、妥当に考えて盗賊か何かの類だろうから、尻尾掴んできてよ。後は学園で何とかするし。」
教師にしては無責任とも取れる締めくくりをした担任に、すぐさま立花が突っかかった。
「それは一年生の能力を越えた仕事です。私たちにそれをさせる意図が分かりません。」
そんなもの一年生に任せても失敗するのがオチです、という立花を担任はまぁまぁと宥めた。
「俺もそう思ったから調査だけ頼んでるんだろ?ほら、お前等学園長のお気に入りだからさぁ。」
初めて聞く事実に、思わず僕は担任の顔を見つめた。
問題児は煙たがられるのが常だが、この四人は例外らしい。
立花以外はこの話に興味が無いのか、反論する者は居なかった。
「そういう事で頑張ってよ。帰ってきたら食堂のおばちゃんに特別メニューを頼んどいてやるからさ。」
結局そう押し切られ、僕らは強制的に隣町まで派遣されてしまったのである。






僕らは手早く準備をして、皆で学園を後にした。
立っているだけでも汗が滲み出てくるのが分かる。
顎を伝うそれを手の甲で拭って、僕らは隣町への小道を歩いていった。
「あ、スイカー!」
ふと足を止めて、七松が嬉しげに叫んだ。
彼の差す方を見れば、畑に大ぶりのスイカが幾つもなっているのが確認出来る。
「もうこんな季節なんだねぇ。ちょっと盗んで食べてみない?」
七松は大きな目をくるくると動かして、畑に入っていこうとした。
が、それは七松の襟首を掴んだ潮江に阻止される。
「バーカ、盗みは犯罪だ。」
「見つかんなきゃ分かんないって!」
「駄目だ!」
「ケチー!!」
七松は潮江の手を無造作に払い除けると、ベッと潮江に向かって舌を出した。
そんな彼らの様子を横目で見ながら、立花はふぅと溜息を付く。
「面倒だな・・・。」
その言葉が今回の隣町派遣への事を言っているか、このメンバーの事を言っているのかは分からない。
けれど立花は綺麗な眉を寄せて、汗を拭う。
良く見ればいつもは涼しげに何処かを見ている目も、何だか焦点がぼやけている。
暑さが苦手なのかもしれない。
そんな立花の言葉を拾ったのか、七松は頭の後ろで腕を組んでえーっと声を出す。
「でも楽しそうじゃん、幽霊退治なんてさ!」
ホントに出たらどうしよー!と騒ぐ七松を、潮江が鬱陶しげに見やる。
「居るはずねぇだろうが、馬鹿。」
「夢がないなぁ。そんなんだからいつも顰めっ面なんじゃないのー?」
「・・っ・てめっ!!」
潮江が振り上げた拳をするりと抜けて、七松はきゃははと笑いながら逃げる。
それを憤慨した潮江が追いかけていた。
「そういやさー、隣町までってどれくらい掛かるの?」
諦めた様子の潮江に勝ち誇った笑みを見せてから、七松は誰に聞くともなく聞いた。
「半日くらいだろ。夕方には着く。」
素っ気なく答える立花。
「ふぅん。」
鼻から抜ける様な返事をして、七松はこそこそと僕の隣に寄ってきた。
「ねぇねぇ、立花って恐いね。」
「え・・・?」
彼は小声で僕に話しかけてくる。
恐いと言っている割には恐そうにしていないが、それは彼の性分なのだろう。
「口調結構キツイしさー。顔も仮面みたいじゃない?」
成る程、余りに整いすぎたその顔は、確かに仮面に似ているかもしれない。
「潮江の方が感情むき出しで分かり易いよね。ま、本人は隠してるつもりかもしんないけど。」
悪戯っ子の様に笑って、七松は大きな目で僕を見上げた。
僕は七松を余り何も考えていない、良く言えば純粋、悪く言えば単細胞な男だと思っていたけれど、意外に人を見ている。
しかしそれは、もしかしたら本能に近い所で感じ取っているものかもしれなかった。
少し驚いて何も答えられずにいたら、笑って頬をつつかれる。
「ちゃんと聞いてるー?」
「え・・・うん、聞いてるよ。」
「じゃあ、どう思う?」
七松はちらりと、一人で景色を眺めながら歩いている中在家に目をやった。
中在家。
彼について、僕は感想が言えるほどの情報を持っていない。
見たところ実技も筆記も並。
素行が特別悪い訳ではない。
ただ周りに合わせることが苦手なのか、一人でいる時間の方が圧倒的に多い人だった。
しかし性格なら仕方がないと思う。
そんな事を思っていたら、潮江が近寄ってきて眉根を寄せた。
「お前等なぁ、喋っているのは良いけどさっさと歩けよ。」
これじゃあ日が暮れちまうと言う潮江に、七松は笑って両手を上げた。
「じゃあ隣町で駆けっこしよう!」
そう言うと、七松は誰の意見も聞かずに走っていってしまった。
僕は七松の背中を眺めてから、潮江と目を合わせて。
苦笑の様なものを洩らす。
「あいつ、隣町までの行き方知ってんのか?」
「知らないだろうねぇ。」
その証拠に、彼の姿はもう見えないけれど。
分かれ道を思い切り反対の方向に突き進んだのは見えたのだ。
「どうする?」
「ほっとけば良いんじゃねぇの?あいつなら野生の勘で戻ってくるって。」
潮江はそう言うと、何処か楽しむ様にして軽く笑った。
しかし。
「放っておいて良いはずがないだろうが。」
立花は足袋を履き直して潮江を睨む。
「私はあいつを連れ戻しに行く。お前等はさっさと幽霊退治とやらをしてこい!」
そう言うと、彼はタッと七松の行った道を走っていったのだった。
予想外の事に潮江は大きく目を開けて。
なんだぁ?と、小さく呟いた。
「・・・幽霊退治より、七松を連れ戻しに行く方が楽だと思ったとか?」
「馬鹿言え、七松の足に追いつくのがどんだけ大変だと思ってんだ。」
呆気に取られてから少し経って。
僕らはそんな事を話しながら目的地に向かう。
何故か当初の、半分くらいの人数になって。





町に着いたのは、予想通り夕焼けも濃くなってきた時刻の事だった。
それから僕らは手分けをして聞き込みに回る。
幽霊が出ると噂の場所は、すぐに分かった。
街から少しだけ離れた屋敷。
そこにはもう何十年も人が住んでいなくて、庭も建物も荒れ放題なのだそうだ。
聞けば今までも何度かその場所で幽霊騒ぎはあったらしい。
その時は女のすすり泣きが聞こえてくるだとか。
屋敷の呻き声が聞こえてくるだとか、そういう現象が起こっていた。
しかし、今回は違う。
今回は本当に「出る」らしいのだ。
街の入り口辺りに出る為、そこに出入りする商人達が怖がって寄りつかなくなったという事なのだそうだ。



「どう思う?」
最初に決めた集合場所にに僕らは集まって。
潮江がにやりと笑って僕らに聞いた。
「不気味だよな。俺が聞いた話じゃ屋敷に埋められた女の幽霊が、逃げて行った旦那を捜しに彷徨ってるらしいぜ。」
「何その微妙にベタな話・・・。」
半眼になって僕は潮江を見やる。
不気味と良いながらも、潮江は楽しげに笑っていた。
恐怖よりも好奇心の方が勝っているのだろう。
その気持ちは分からなくもない。
町の人達の話を聞けば聞くほど、盗賊だとかの事には思えないのだ。
今までいないと思ってたものがいるかもしれない、それだけで興味は嫌でもそそられる。
もっとも、僕が聞いた話は潮江の物とは少し違う。
確かにあの屋敷には昔、金持ちの夫婦が住んでいたらしい。
その夫婦にはとても美しい娘が1人いて。
両親は何よりも、それこそどんな宝よりも大切に大切に育てていた。
けれど。
娘は使用人の男に恋をした。
勿論両親は猛反対。
しかし娘も譲らず、男と結婚出来なければこの家を出るとまで言っていたようだ。
その話を聞いた両親は。
使用人の男を。
殺した。
それを知った娘も、後を追うように自殺したらしい。
その娘の幽霊が、殺された男を求めて彷徨っているという。
こういう話はどこにでもあると思っていたけど。
実際に町の人が青ざめて話しているのを聞くと、ちょっと恐くもなる。
「っつかよ〜相手が本気で幽霊なら、俺等どうしようもなくね?」
実体が無いもん相手にどうしろってんだよ・・・と、潮江はブツブツと文句を言う。
僕もそれには同感だった。
でも。
ぽつりと、まるで独り言の様に中在家が呟いた。
「・・・幽霊なら、成仏させてやれば良い。」
「「・・・え?」」
潮江と僕は、呆気に取られて中在家を見る。
彼は相変わらずの無表情で、もう一度行ったのだった。

「幽霊の無念を、晴らしてやれば良いだけだ。」






「・・・・い、いやいやいや・・・お前本気か?」
潮江が半笑いの様な顔で引きつる。
「本当に相手が幽霊だったら、取り憑かれるかもしれねぇんだぞ?」
「そっ・・・そうだよ!大体僕らでその幽霊を成仏させれるかどうか・・・。」
僕らの反論を受けながら、中在家は無表情を保っている。
聞いているのか考えているのか。
分かりにくい人だ。
と、ぽつりと表情を動かさない彼が呟く。
「・・・じゃあ、他に手があるのか?」
しんと、三人が口を噤む。
生暖かい風が頬を撫でて、ゆっくりと夕暮れがその色を濃くした。
暫くの沈黙の後、潮江と僕は殆ど同時に溜息を付いたのだった。
「・・・やるしかねぇのか・・・。」
「・・・他に方法もないもんね・・・。」

かくして。
僕らの、幽霊退治は始まったのだった。






夜も深まって。
誰1人いない町の入り口に、僕は立っていた。
何をするにしても、先ずは幽霊を確認して捕らえなければならないとの結論から、僕が囮になったのだ。
じっとりとまとわりつく空気が気持ち悪い。
立っているだけなのに、汗が頬を伝った。
粘着質な空気が普段よりも重く感じる。
近くの建物の陰に、潮江と中在家がいるって分かっている。
分かっているけど。

嫌だな・・・。

言いしれぬ不安感が襲ってくる。
何だろう、何かが違う。
ぞくりと。
背筋に冷たい物が走った。

―――いる。

「・・・・・・こんばんは。」

振り向けばそこには。
綺麗な着物を着た、女の子が。

「夜にお散歩?私もなの。」

ニッコリと笑うその姿は。
向こうの景色が、透けてみていた。


「う・・・うわぁぁぁぁぁあああ!!」


僕の悲壮な叫び声が、町外れに響いたのは言うまでもない。






驚いて腰を抜かす僕に、その子も驚いた様で。
目を見開いて、心配そうに屈んで僕の顔を覗き込んだ。
「だ・・・大丈夫?呪ったり取り憑いたりなんかしないから、怖がらなくても良いよ?」
必死で僕を宥めようとする彼女は、透けている事以外は僕らと何ら変わらない人で。
優しげな表情に、僕は自分の強張りが解けていくのを感じた。
「・・・君、幽霊?」
それでもまだ微かに怯えが残る声で聞けば、僕らとそう歳の変わらなさそうなその少女は。
微かに寂しさを漂わせる笑顔で、頷いた。





「・・・お前、本気で幽霊なのか?」
僕の叫びを聞いて駆けつけてきた潮江が、幽霊をマジマジと見ながら引きつって問う。
中在家でさえ、驚いたようにその子を見つめていた。
「うん、幽霊。確かめてみる?」
そう行って彼女は腕を潮江に差し出す。
潮江は訝しがりながらも、彼女の手を取った。
が、彼の手は呆気なく空を掴んだだけで、彼女には触れも出来ない。
「すっ・・・すり抜けた・・・。」
「ね?分かったでしょう?」
その子はパタパタと手を振って笑った。
僕は漸く立てるようになった体を起こして、頬を掻く。
先程彼女自身が言った通り、取り憑いたりする様子もなければ呪う様子も無い。
では何故。
「何で幽霊になったの?」
そう聞くと、その子はん〜?と首を傾げて。
曖昧に笑った。
「それより。私、。あなた達は?」





「え〜っと・・・・伊作に文次郎に・・・長次?」
「何でいきなり呼び捨て。」
「何故俺だけ疑問系・・・。」
その子・・・と名乗った女の子は、1人1人指さし確認をして名前を云って。
嬉しそうに笑った。
「ホントは後二人いたんだけど、どっか行っちゃったんだよね。」
「へぇ?所で。」
は僕たちを見渡して。
小首を傾げた。
「何で私を待ち伏せしてたの?」
一瞬の沈黙。
そう言えば。
すっかり当初の目的を忘れていたけど。
僕たちは担任に云われて、幽霊を。
「・・・・・・・・・・た・・・退治に。」
「何を?」
「幽霊・・・を。」
「ふぅん、それって私の事だよね。」
はそう呟くと、特に気にもしなかった様子で少しだけ僕らから視線を外した。
「私もね〜そろそろだとは思ったんだよね。」
「そろそろ?」
潮江がふと顔を上げて、を見やった。
はコクンと頷いて頬杖を付く。
「・・・・私さ、死んでからかなり経つの。」
そう呟いた少女は少し淋しげで。
「いい加減疲れちゃった・・・・でも。」
逸らした視線はどこを見ているんだろう。
「・・・・・諦めきれなくて。」
一体何を。
「人前にまで、出てきちゃってさ。」
その小さい体で。
「今年駄目だったら、もう諦めるつもりだった。」
待っていたのだろう。
少女の目元が微かに光ったのは、きっと見間違いではない。





聞き込みで聞いた話は、やっぱり事実とは違っていて。

昔、確かにそこに裕福な家庭があった。
両親は可愛い可愛い一人娘を大切に育てていて。
大切に育てすぎた。
娘は家から出ることを許されず。
使用人達と話をすることも許されず。
ずっと一人きりで、生きて。

そして少女は、病に倒れた。

友人というものを、知ることもせずに。






「だから。」
そこまで話すと、は僕を見てニコリと笑った。
「一度で良いから、友達と一緒に食事がしたかったんだ。」
「食事?」
潮江が呆けた様な声を出して、呟いた。
「うん、いつも食事は一人だったから・・・誰かと一緒に何かを食べるのって、良いんだろうなと思ってさ。」
彼女は平気そうに言って笑うけれど、その表情のどこかに憂いが漂っている。
きっと。
僕には想像も出来ないほど、寂しかったのだろう。
庭で遊んだり、市で買い物をしたり。
それこそ大勢で騒ぎながら食事をしたり、したかったのだろう。
死んでからも諦められない、ほんのささやかな願い。
彼女はこの百何年、一体どんな思いで。

来るとも限らないその願いを、夢見ていたのだろう。






「そう言うことで、まずは友達になって?」
は口元に指を当ててにっこり笑う。
僕は余りに直球な物言いに少し戸惑ってしまって。
何か云おうとする前に、潮江に先を越されてしまった。
「別に良いけど・・・・。」
彼はチラリと僕の方を見て、困ったように髪を掻いた。
「まず俺たちが友達じゃねぇんだよな〜。」
「俺たちって、あなた達三人?」
「おう。単なる同級生なだけ。」
「嘘ー!」
はマジマジと僕らを見て。
首を傾げた。

「私、友達ってあなた達みたいなのを云うのかと思ってたんだけどな。」

昼間僕たちの様子を見ていて。
そう思ったと言う少女の言葉を聞いて、僕らは顔を見合わせた。
「だって・・それは・・・・・・。」
僕が何かを言おうとしたその時。
遠くで何とも言えない悲鳴が聞こえた。
見やれば、七松に引きずられて未だかつて無いほど取り乱した立花の姿。
「止めてくれ、頼む、この通りだ!!」
「うっせぇなぁ、さっさと行くぞ爬虫類!」
七松の意にも返さない返答に、立花が目に一杯の涙を浮かべているのが伺える。
「アイツら良く辿り着いたなぁ。」
「ってか・・・メチャメチャ叫んでるけど大丈夫なの?」
が引きつった顔で僕を見やる。
でも僕にだって何で立花が叫んでいるか分からないし、何とも良いようが無くて。
さぁ、としか言えなかった。
その内七松は僕たちの方を見て、片手を大きく振る。
もう片方の手には立花の腕ががっちりと掴まれていた。
「ねーっ!仙蔵運ぶの誰か手伝ってよーっ!!」
「嫌だーっ!!」
バタバタと暴れる立花を七松は押さえつけて。
結局彼は肩に立花を担いで持ってきてしまった。
と言うか。
「えへへ、ちゃんと辿り着いたでしょー!」
「何か親密度上がってない?名前で呼ぶなんて。」
肩の上で出来るだけ小さくなりながら震える立花を横目で見つつ、思わず聞いてしまった。
先まで苗字呼びだったというのに。
何かあったのだろうか。
そう聞いたら、七松は楽しげに笑いながら立花を地面に置いた。
「何かね、話してたら楽しいヤツだったから。」
コイツ幽霊が恐いんだってー!と、ケラケラ笑いながらクシャクシャと立花の乱れた髪を更に乱れさせた。
立花はと云えば。
キュッと目を瞑って、必死に七松の足に抱き付いている。
「ゆっ・・・幽霊など恐いものか!!」
誰に対しての見栄か、それとも自分への暗示か。
あの立花がここまで取り乱すのかと、まじまじと彼を見つめてしまう。
「恐いんだろー?さっきめちゃめちゃ叫んでたじゃん。」
バシバシと立花の頭を叩きながら、七松は大口を開けて笑った。
「コイツさ〜幽霊が恐いもんだから教師に文句言って、この町に来たくなかったから俺を追いかけてきたんだぜ。」
見かけに寄らず恐がりだろ〜と笑って、七松はふとを見やった。
「所で、この透けてる人が例の幽霊?ホントにいたんだー!!」
別に恨めしそうな顔はしてないんだねーと云って、ニコリと笑う。
「俺七松小平太!宜しくね〜。」
夜中の闖入者に呆気に取られていたは、その言葉に驚いた様に何度か瞬きをして。
「よ、宜しく。」
そう言うのが、精一杯なようだった。






「たっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
立花は目を瞑って。
その綺麗な眉間に皺を寄せて。
若干涙声になって七松にしがみつきながら。
「立花・・・・・・・だ。」
漸くそれだけをに告げた。
声を震わせる立花など初めて見た。
いつでも冷静沈着、何でもそつなくこなす彼が。
今のこの彼をくの一達が見たら何と言うのだろうと思いつつ、事の成り行きを見守る。
「はぁ・・・。ってか・・・別に何かしようって訳じゃないんだからそんな怖がらなくても・・・・・。」
「はははは・・・・怖がってなど・・・いるものか・・・。」
かなり引きつった表情で空笑いをする立花。
そんな立花の肩に手を回しながら、七松はケラケラと笑った。
「そういや〜さ〜、何の話してたの??」
僕は大きな目を見開いて小首を傾げる様を見つめながら、はて何だったかと思う。
暫く考えていたら、中在家がボソリと独り言のように呟いた。
「・・・・・友達。」
「あ、そうそう。僕らが友達云々・・・・って話してたの。」
「へぇ?」
「お前等は友達みたいに見えるけどな。」
潮江が後ろ手を組んで七松と立花を見やる。
確かに、彼らは僅か数時間のウチに妙にうち解けていた。
でも、僕たちは?
友達、なのかな。
「ってか、何でそんな話になったのさ。」
七松は立花の髪を三つ編みにしながら、小さく欠伸をした。
昨日はしゃいでて眠れなかったんだよねと、ケラリと笑う。
「私が・・・。」
その笑顔を見て、今まで二人に気圧されていたが口を開いた。
「私が、一度友達と一緒に食事がしたかった・・・って言ったから・・・。」
「なんで?」
「いつも食事は、一人きりだったから。」
は少しだけ淋しそうに笑って。
その白い歯を見せた。
その時。
立花がふと七松から離れてすっくと立った。
彼はジッとを見つめて。
まだ少しだけ怯えた様子を見せながらも、小さく呟く。
「・・・一人?」
「うん。親が使用人達と食べるなとか言って、食べさせてくれなかったからさ。」
それを聞いた立花は、僕らを見渡して睨み付ける。
「馬鹿じゃないのかお前ら。」
青ざめながらも、気丈に振る舞う立花。
「そんな願いくらい早く叶えてやろうとは思わんのか。」
そう言うと、立花は未だ震えながらもに向き直ってぎこちなく笑って見せた。
「大丈夫だ、ちゃんと私たちがその願い・・・叶えてやるからな。」
「お前幽霊嫌いなんじゃないの?」
七松が聞けば、立花は首を横に振る。
「嫌いではなくて、単に苦手なだけだ。」
それに・・・と、立花は付け足す。
「可愛い子には優しいんだ、私は。」
ただの女ったらしじゃねぇかと、潮江の呟く声が聞こえた。
しかしそんな潮江の言葉は無視して、立花は顎に手を当てて考え始める。
「さて、何を食べようか。この時間じゃ料理を作ると言っても大した物は作れないだろうし・・・。」
腕を組む立花に、七松がハイハイと手を挙げた。
そして満面の笑顔で、言ったのだった。

「やっぱ大勢で食べるんならスイカでしょ!」







僕らはと一緒に、来た道を戻って。
最初、七松が盗みに入ろうと云ったスイカ畑まで戻ってきた。
「ぬ・・・盗むの?」
「盗む。」
「っつかもうアイツが盗んできてる。」
怖じ気づいた僕の方を見もせずに。
立花と潮江は畑を・・・正確には、畑の中で堂々とスイカを取ってきている七松を見ていた。
「えへへ、二個はいるよね〜!」
両手に大きなスイカを抱えて、七松は嬉しそうにそれを地面に置いた。
「さぁ食べようっ!!」

ザクザクとクナイでスイカを切る音がして。
切り方について、立花と潮江が言い合っているのを見ながら僕はを見やった。
は楽しげにみんなを見ている。
「・・・・楽しい?」
少女の傍に寄って、僕は彼女の顔を覗き見た。
は長い睫毛に縁取られた目を一杯に開けて、嬉しげな笑みを浮かべる。
「うん、こんなの初めて!」
そして彼女は、少し明るくなってきた山の端を見つめた。
濃紺から紺へ、群青へ。
空が吐息を漏らした様に、その色は変化する。
「ねぇ、伊作。」
「うん?」
少しだけ離れた所で、七松が中在家にちょっかいを出しているところが視界の端に入って。
何だかんだで仲良さそうだなと思いながら、の言葉に耳を傾けた。
「町の噂でさ、私の好きな人が殺されてそれで私も自殺したっての・・・あったでしょ。」
「あったね。使用人との関係が許されなかったとか・・・。」
「あれさ。」
刻々と時が流れる。
群青から紺碧へ、色を変える空の下で。
は少しだけ、寂しげに目を細めて。
「少しだけ、本当なんだよ。」
「・・・・え?」
「私の完全な片想いで、何にも言えないまま病気で死んじゃったんだけどさ。」
こつんと。
彼女は足下に転がった石を蹴るマネをした。
実際は石を通り抜けてしまったけど。
は僕を見て、ニッと笑った。
「その人少しだけ、伊作に似てたんだ。」
「・・・・・・?」
薄藍から空色へ。
世界は待つことをせず、どんどんと明るくなって。
「ありがと、楽しかった!」
太陽が、顔を出して。
君の体が、見る間に消えていって。
「まっ・・・待って!まだスイカ、食べてないじゃないか!」
の体を掴もうとしても。
腕は彼女を通り抜けてしまう。
そして。
とてもとても綺麗な笑顔を残して。

彼女は、跡形もなく消えてしまった。







「・・・・・・あれ、は?」
手刀でスイカを割ろうとしてあえなく失敗した潮江が声を出す。
みんなも疑問符を浮かべながら、が居た場所を見つめた。
「・・・・スイカ、食べよっか。」
そんなみんなの視線を乱すように、僕は無理に笑ってみんなの輪に入っていく。
「楽しかったってさ。」
呟く様に言って、僕は立花が綺麗に切り分けたスイカの一切れを囓った。
甘いスイカ。
美味しいけどさ。
独りで食べるのは、淋しいね。
だからみんなと。
「ホントにさ〜幽霊っているんだね。」
可愛かった〜!と云って、七松は種をぷっと飛ばして。
汚いと立花に殴られて。
別に乗り気ではなかった中在家は、黙々と食べていて。
潮江は。
寝転んで空を見ていた。
僕も吊られて空を見る。
太陽は完全に昇って、抜けるような青い空。
遠くで蝉の鳴き声が聞こえて。
暑い空気に、爽やかな風が吹いた。
そして目が痛くなる様な入道雲。
今年の夏も、暑くなりそうで。
僕らは顔を見合わせて、ニッと笑った。

「じゃあ、帰ろっか!」








「結果報告したら、あの時先生困ってたよね。」
ケラリと笑って、小平太は頭の後ろで腕を組んだ。
「先生だってまさか本当に幽霊がいると思わなかっただろうしね。」
僕らはあの後のことを思い出して、笑い合った。
僕らの相手が盗賊だと見込んでいた担任は、流石に心配だったのか後を付けてきていたらしい。
そしてスイカを盗む現場を見事に目撃されて、こっぴどく叱られたのだ。
最も、彼にはは見えなかったらしいけれど。
「心配なら最初から行かせなきゃいいのに。」
ねぇ、と、小平太はあの時より随分と大人びた笑顔を僕に向けた。
「そう言えば、今年のスイカは甘いんだって!」
一体そういう情報を何処から仕入れてくるのかと苦笑していたら、急に後ろから誰かに抱き付かれた。
「よぉ、奇遇だな。」
「も・・・もんじ?」
首に腕を回された所為で軽く咳き込みながら後ろを見れば、見慣れた顔が傍にあった。
小平太の方を見れば、僕と同じ事を仙蔵にされている。
「お前らもスイカ盗みに?」
小平太が仙蔵の首に腕を回し、自然と肩を組む様な格好になりながら聞いた。
「ちょっと懐かしくなってね。」
「暑くなってきたなぁって話してたら、思い出してよ。」
潮江がニッと歯を見せて笑った。
「じゃあ、あとは長次だけだね。」
「アイツ来るか〜?」
そんな事を話ながら、目的地に着いて。
思わず笑ってしまった。
畑のすぐ近くにある木の根に座って。
長次がうつらうつらとしていたから。
「結局。」
「考えることは同じだな。」






夏、晴天の空の下。
僕らはまた、五人で笑っている。
ねぇ、僕らの事見てる?
そっちではちゃんと友達は出来た?
またいつか、一緒に遊べたら良いね。

あれから僕らは、少し大人になった。
知識も増えて、体も大きくなって。
思えば僕らは、いつだって同じ道を走ってきた。
同じ道を走って、違う未来を真っ直ぐに見つめてる。

だから、きっと。

いや、よそうか。
今はただ、こうして笑い合って。
あの時と同じように、空の下にいられることが。

何よりも、大切な。

「おーい伊作、何してんだよー!」
小平太が手を振って僕を呼ぶ。
みんなが僕を見て、笑っていた。
だから、僕は走る。
どこまでも、どこまでも。



「何ボーっとしてんの?」
不思議そうに首を傾げる小平太の髪をクシャクシャと撫でて。
大きく息を吸った。

「今年の夏も、暑くなりそうだと思ってね。」

 



君たちと、空の下で笑いあえるように。


 

 

 

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とある事情で以前書き直したヤツ。

確か一万HIT御礼SSだった気がする。

 

 

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